背が低い、コンプレックスの乗り越え方

背が低い、コンプレックスの乗り越え方

こちらも参考にしてみてくださいね

いろんな理由で背が低いことをコンプレックスにする背が低い人は多い。

身長ストーリー

理想身長っていくつなの?

153cm〜156cmくらいの女性で「160cmだったらよかった」という人はけっこういる。
私は144cmなので、平均身長の158cmと比較しても14cm低い。「160cm」と言われるとなんとも情けない気分になることは多かった。

「なぜ160cmなんだろう?」

だいたいこんなことを言われることが多い。

・太い手足をごまかしたい(伸びれば細く見えるという)
・160cmあればスタイルがいい気がする

160cmというと、アメリカでは小柄と言われる。アメリカ成人女性の平均身長は164cm。平均よりやや低いくらいだろう。
アメリカでは小さいのだが、日本では160cmが「スタイルが良さそうな身長」と認識されているらしい。

153cm〜158cmくらいの女の子、女性がもっとも「160cmがいい」と言う。しかし、その160cm以上の女性で「自分くらいがいい」という声を聞いたこともほとんどないことに驚く。
164cmの人でも「もうちょっと低くてよかった」と言う人もいる。

自分の身長は気に入らない法則

でもあるのだろうか?

「平均身長」という魔の言葉

まず「低い」という言葉のイメージがおそらくネガティブなのだろうと考える。「平均より低い」=「足りない」という感覚を抱くのだろう。そして、それは「悪いことだ」と考える。

たとえば150cmなら150cm、140cmなら140cm、数字はただの数字である。だが、心理的には「数字が少ない」「少ない私は何か不足している」のような連想をさせるのかもしれない。

一方、「高い」という言葉のイメージは善であるように感じないだろうか。
「上品」「高価」「高品質」など、高いもの=良いものというイメージがある。反対語の「低い」は「下品」「低価格」「低品質」など、悪いものをイメージさせる。

そういう「言葉のイメージ」によって、背が低い人は余計に心理的ダメージをおっているように、私には思えるのだが、どうだろうか?

比較しなければ不幸にはならない

当たり前っぽい言い方になるが、そういうこと。そして「どちらかが悪くて、どちらかが良いはずだ」という二元論の世界に立っていることが不幸の始まりに他ならない。

「体のことを言ってはいけない」という魔の言葉

私は子供の頃から「チビ」と言われ続けた。「チビ」と言われて「あ、私は小さいのか」と認識したのだと思う。
「チビのくせにいばるな」と意味不明なことも言われた。忘れていたが「小さいからと頭を叩かれた」なんてこともあったらしい。これは親から聞いた。

私を叩いた子供の家庭環境はネグレクト気味だったらしく、親は「どうにもならない体のことで人を叩いたりするんじゃないと言っておけ」とその子の親に説教したのだとか。
※ネグレクト:意味

私の親は「背が低いことでいじめられた」とか、そういうことが続いて泣きついたとき、「体のことを言うもんじゃないよ」という、あまり慰めにもならないことを言った。
このことが逆に(私は触れてはいけないような悪い体を持っているのか…)という思いを抱くことになってしまった。

「悪くなければ体のことを言ってもいいと思うんだけど…」というのが、正直なところだ。

そう、

「いいね!」くらいの気軽さで言いたいものだ。

「不愉快だ」と真面目に言ってみた結果

オフ会というものがあった頃、出会ったそばから「ちっちゃーい!」とまるで歓声をあげるように言った女性がいた。その人は165cm以上。ちなみに彼女は背が高いのが嫌らしい、後で聞いた。

私はその時、あまりに不愉快だったのでそのまま黙って帰ろうかと思ったのだが、それも大人げないだろうかなどと思って、付き合ってしまった。

我慢してしまうと溜まるもので、その後、私が自分のSNSで「ちっちゃいとでかい声で言われて不愉快だった」などと書いた。すると、その本人が「あなたのことを小さいと思ったことはない、むしろあるモデルに似ていて綺麗だと思っていた」とコメントしてきた。

「私が書いたのはあなたのことです。あなたは忘れているのかもしれないけど、大変不愉快な思いをしたし、一体どういう神経をしているのか不思議で仕方がない」と真面目にメッセージをした。
すると、彼女は電話で「間抜けで失礼で本当にごめんなさい」と詫びを入れてきて、挽回させてほしい、おごるので飲みにいこうと言われた。

気は進まなかったが、関係修復の機会になるのだろうかと飲みに行ってみたら、おごるどころか、彼女は1杯しか飲んでいない私に彼女の食事代を含めた数千円を払わせ、ほとんど自分で飲んだ分だけ払ったというオチに。
以前の食事会のときにもその人とある人はワインを2本くらい開けていたが、2杯も飲んでいない私を含めて割り勘にしようとし、もう一人の人に止められていた。

その人とは別の知人も含めて何度か食事をしたが、その度に「酔った、飲みすぎた、正しい判断ができない」とよく言う人だった。

この人はそういう人なのだなと思い、以降はそれとなく誘いを断り音信を絶った。

傷つく前に、付き合う価値のある相手か、問い直したっていい

身長話は小競り合いの一種?

もし、誰かがあなたの身長を持ち出してネガティブなことを言っているとしたら、一番自信がないのはその人本人だと思ってみてもいいだろう。
だからといってその人の弱いところを突つく必要もないのだけど。

自分に自信がある人は上からも下からも見ない。「上から目線」をする人もへんにへりくだる人も自分をまっすぐ見ていない。
本当に芯がある人は、上から目線でもないし下から目線でもない。

いろいろ言ってくる人はいるかもしれないが、その人の声の裏側を聞いてみよう。それに「オーラ」を感じてみるといいかもしれない。
たいていその人自身がもやもやしたものを抱えている。

次に、「自信がない人、あるいは自信がない状態の人の言っていることで傷つく自分」をどう思うだろうか?

想像してみよう。

背が高い人の世界から

成人してからなぜか、「背が低くて羨ましい」と言われるようになった
17歳ごろまでは「やーい、チビ」と露骨に言われることもあり、「チビには市民権がない」みたいに感じていた私には衝撃的なことだった。

その17歳ごろから「綺麗」と言われ始め、大学を出て社会人になると、背が高くてコンプレックスだという人にむしろ多く出会うようになった。以降、165cm以上の女性には「羨ましい」と言われたことしかない。

この頃なにが大きく変わったのかというと、ヒール付きの靴を履き始めた。高校もそろそろ卒業ということもあって、親が買ってくれたのだ。
その当時の高校生仲間はスニーカーやヒールなしのローファーが普通で、ヒール付きの編み上げブーツを履いている人は少なかった。

ヒールを履いているということもあって、歩き方がかっこいいとかスタイルがいい、脚が長いと言われ出した。脚が長く見えたのはもちろんヒールのおかげだろうけど。

また、いわゆる「学生が履くようなもの」ではない靴を買ってもらえたので、大人というか、年並みになる許可を得たように感じた私は、服装も髪型も全体的に変えてみた。
メイクはまだしていなかったが、おそらくその頃からだんだんと、「チビで子供っぽい子」というのを抜けて「おしゃれ」「綺麗」というジャンルに入れたらしい。

「スタイル」を持つと、世界が変わる

背が高いなりのコンプレックスを聞く

さて、私はなぜか「背が高いのがいやだ」と、いろんな女性から聞く機会が多かった。

最初は「身長何センチ?ちっちゃーい!」と始まる。この時はこちらも(またその話か、うっとうしいなぁ…)と思う。が、そのうち、いかに背が高いことが嫌なことかとくどくど言い出すので「どういうこと?」と思って聞いていると「背が高いなりのコンプレックス」は、実は背が低い人と同じくらいあった。

・自分より背が高い男の人を探すのが大変(恋愛で不利)
・職場などで振り返られ「でか!」と言われる
・「可愛くしてはいけない」という「可愛いこと」への遠慮
・姉御肌にならなくてはいけないようなプレッシャー
・なんか頼もしくなってしまう
・「女性らしさ」という点でコンプレックスを感じる
・胴長短足は悩ましい
・膝丈のスカートがミニスカートになってしまう

背が高い女性は「女らしくしたいのだがやりにくい」という点でコンプレックスを抱えていた。おそらく、背が低い方と同じくらいの強いコンプレックスだろうと思う。

だから、「背が低くていやだ」という言い分と「背が高くていやだ」という言い分は、「あなたのほうが優れていて私の方が劣っている」という話が続いて決着がつかないのかもしれない。

そういえば、背が高い女性…しかも美女がこんなことを言っていた。

「あのね、背が低いってことは無条件に可憐なの、女性にとって可憐だということはなによりもいいことなのよ!」

ここまで強く言われたら引き下がっておくか、と思うくらい強烈な言い方だった。

冷静であれば「どっちもどっち」と思うのだが、まぁいっかと思える台詞ではないだろうか。

背が低くて悩んでいる人はこの言葉を胸に刻むといいだろう。今はわからなくても、いつか深くあなたを癒し、あなたを女神のような素晴らしい気分にさせるだろう。

「いいところが見えるのなら愛してあげよう」

背が低い人は背が高い人が羨ましいだろうし、背が高い人は低い人が羨ましい、こういうのはいくらでも出てきてきりがない。

しかし、あなたには相手のいいところが見えている。それなら、それを愛してあげてはどうだろう?

ただし、そのときに自分のことを下げないようにすることがポイント。

私も至らないと思って努力してることは多いけど、私から見たらあなたは素敵だと思うし、羨ましいと思うこともある

こういう気持ちはどっちの立場であろうと、抱くものではないだろうか。

理想身長、理想体型は「●●」にしかいない?

背が高い人のコンプレックスの中には「胴長短足」というのも入っている。また、160cmになりたい150cm台の人たちは「手足を細長く」という願望があった。つまり、身長の数字そのものより「全体のスタイルが重要」という感じ。

上には入れていないが「細い」「顔が小さい」というのも願望としてあるようだ。背が高ければ、相対的に頭や体、手足は大きく太くなる。つまり、部分パーツのサイズが小さいほうがいいので、背が低いほうがいいと思うようだ。

160cmを超えていて144cmの人と同じサイズを求めるのはおかしい、とこちらは思う。
彼女たちの理想体型を想像すると、そんなに細くて顔が小さいのはモデルぐらいしかいない。そして、それはなかなか非現実的な体型なのだ。が、

175cmのモデルの3サイズと144cmの私の3サイズがほぼ同じだというのをご存知だろうか(笑い)
外資系のファッションモデルの身長はだいたい168〜175cm。つまり、一般女性というのはそのくらい自動的に太いとも言えるし、モデルのサイズが異常に細いとも言える。

それと、理想身長になりたいという時、おそらく顔の良さや頭の良さ、仕事の出来、収入、性格、恋愛などでの充実感、などなどそういう他の要素がまったく同じならば、という感じがする。

仮に「あなたの理想の身長にしてあげますが、顔が不細工になりますよ」とか「収入が半分になりますよ」とか、代わりに何かを取られてしまうとしたら、それでも理想身長を手に入れたいと思うだろうか?人魚姫のようだ。

自分の立場で想像してみても「…うーん…どうだろうねぇ?」と思わないだろうか?

理想の体型になれる可能性は?

変えやすいことと変えにくいことがある。

変えやすいのは「太る」「痩せる」などの横系であり肉や脂肪。「身長」「脚の長さ」「頭の大きさ」など、骨格のからむもの、それと縦の長さは変えにくい。
「肉」は自分の意思で変わるが「骨」は変えにくい、ということだろうか。

人の身長は30cmくらいで生まれて100cmになるまで数年かかる。が、体型が変わって見えるくらいの体重5kとか10kは1年ほどで変えられるようだ。ということで、肉は変形しやすいが骨の形成には時間がかかると考えていいだろう。

ちなみに、子供の頃からバレエをしていても体型がスリムで脚が長くなるという保証はない。バレエをやってるわりには…?というスタイルのバレリーナもいる。

全日本バレーボール選手だと、専門的にやり始めるのはおそらく同じくらいの時期だと思うが、157cmの人もいれば189cmの人もいるので、運動をすれば必ず伸びるという保証もない。

厳しいバレエ団では祖母の代までの体型を見られるらしい。
時々両親と会うと、「骨はほんとに似てるなぁ」と思う。骨が似るので顔が似る、ということではないだろうか。

けれど、食べれば太り、食べなければ痩せる。これは誰でも共通だろう。

職業的な身長制限という不利

150cm前半で飛行機の客室乗務員になりたがっていた知人がいたが、そういう厳しさはあるかもしれない。彼女の場合は、とりあえず応募だけ、と応募し、面接の何段階かディスカッション面接のようなところまで進んだのだそうで、身長で不採用だったのかどうかはわからない。

だが、身長制限のある職業のため、書類に身長を書く必要があったはず。なので、書類で通したということは、身長よりも魅力的なものがあり、実際に会ってみようと思わせた何かがあったのだろう。

飛行機ではご存知のとおり、高いところに荷台があってそこを開けたり閉めたりしないといけない。これは業務で必要なこと。
例えば背が低い客室乗務員が、荷台を開け閉めできないのでその度に他のスタッフに頼んでいたとしたら、業務的に支障が生じることになり、業務遂行が難しいと判断されるだろう。

飛行機の荷台が足下になれば、身長制限はなくなるかもしれない。

恋愛的な不利、しかしその根底心理は…?

恋愛的には身長制限はない。だから、そういう意味で不利ではないはずだ。

「恋愛をしていいのは150cm以上に限る」などとは世界のどこでも言われていないし、「150cmになったからあなたは今日から大人です」というのもない。
大人というのは、世界各国で年齢で決まっている。しかも、生まれて何年経過したかという物理的年齢であって、見た目の年齢感でもない。

恋愛で何か不利を感じているとするなら、それは感じる人本人が「不利だと思っているだけ」ということになってしまう。

幸か不幸か、世の中にはいろんな好みの人がいる。
背が低いい人が好きというのもあすし、背が高い方が好きという人もいる。デブ専というのもあるわけだけど、スリム好みの人には理解できないだろう。
同じように、イケメンじゃないとダメだという人もいるし、顔はどうでもいいという人もいる。
千差万別ってやつです。

ハイスペック高身長男性も恋愛で勝てない

私はいつだったか、178cmくらいのまあまあイケメンと言われるくらいの見た目で、大手企業に勤めているおしゃれな男性に長い間口説かれていたが、「酒ぐせ」を理由に断った。
彼は恋愛で有利な条件を揃えていたにもかかわらず、恋愛で勝てなかった。

178cmのまあまあイケメンと言われるくらいの見た目で大手企業に勤めているおしゃれさんなら酒ぐせ悪くてもいいじゃないか、という女性もいそうである。が、私は昨日の記憶のない人は信用できないと思った。

一見不利そうなのが、背が低い男性と背が高い女性だが、例の178cmの彼女も自分より背が高いらしい彼氏と同棲していた。また、170cm未満の知人男性で3人〜4人の子持ちの人もいる。
一方ハイスペック高身長男性でも1年以上、好みの女性を落とせなかったという例もある。

必ずしも背が高ければ恋愛で有利ということもないし、逆もしかりではないか。

恋愛での不利、その本心はなんと言っているのか

ただし、不利だと思っている方の言い分はこうではないか。

「なぜ、背が低いからって他のところでがんばらないといけないんだ、背が高いやつはがんばらなくていいのに、不平等じゃないか」

みたいな。そこ。

要するに「自分は余計にがんばらないといけないのか」という不満なのである。

なぜ、「異性と付き合う」という同じ結果を得るのに、自分はあいつよりも余計にがんばらないといけないんだ、という不満。

カウンセラー時代にこういう不満は何度か聞いた。恋愛だけでなく、ある。
深く訊いていくと、身長の問題というより「人生を簡単に歩んでいそうな人」「努力しないといけない自分」を比較して「自分は不利、不平等」と嘆いているケースが多かったのである。

本当にそうだろうか?

背が高い人だって「背が高いからってなんで頑張って可愛くしなければいけないんだ、背が低い子は自動的に可愛くて得だよな!」って思っているかもしれない。

背が低い男性に対して背が高い男性が、「あいつはサッカーうまくてモテていいなぁ…背低いのに…」と思っているかもしれない。小さい方は「あいつはでかいだけの能無し」なんて思っているか知らないが、彼は彼なりに一生懸命サッカー修行をしているはず。

そんなわけで、私はお互い様だと思っている。

頭がいいがスポーツが苦手な人、スポーツはできるが頭は弱い人、色気がない人ある人、いろんなジャンルを見てみると、誰かしらみんな、どこかしらでがんばっているのではないだろうか。

他人の持ち物は単純に羨ましい

そして、他人の努力は見えない

あなたは自分のこれまでを讃えているか?

他人の才能や能力は、それを育ててきた歴史を知ることはあまりないだろう。なぜなら、能力や才能が見える頃にはその人の人生が10数年経っているからだ。

私は気づいたら絵がうまかったのだが、絵がうまくなるまでに2歳から毎日絵を描き続けていたことを知っているのは、私自身と親くらいだろう。
うまくなる間には、試行錯誤があり、不満も抱き葛藤もしたが、そんなことは学校の友だちには見えない。

能力は10年ほど経ち、目に見える形で実がなってくるのだが、やってきた本人にしかわからないし、どれくらいやってきたかと説明するのはなかなか難しい。おまけに本人にとっては、あまりにも普通のことなので、自分の能力がそんなに凄いものであるとも思えない。

こんな調子で、人は他人の持ち物がよく見えがちだ。

よくあるのは、他人の努力が見えない人は自分の努力もまったく見ていないということ。

逆に自分がどれだけがんばってきたかをしっかり見てみると、他人だけが楽をしているという風には見えなくなる。

自分を本気で讃えてみよう

その時に身長や何かが必要なのかどうか、わかるかもしれない

恋愛のストライクゾーンを広げることは重要なのか?

この疑問にはイエスと答える。が、選択肢や可能性を広げるのも狭くするのも、自分次第だし、そんなことはしなくていいと思っている。ちなみに私はあえてストライクゾーンを広げることはやめた。

理由はシンプル。

無意味にストライクゾーンを広げてもつまらない結果しか待っていないから。

「私はこういう人生を生きたい」「こういう人と付き合う」「こういうものを持つ」など、願望を掘り下げることが重要なのは、背が低かろうと高かろうと平等だと思っている。

強い願望を抱けるときには、自分がそれに対して不利かどうかとは考えないものだ。

つまり、不利だ不利だと叫んでいる人は、…暇なのかもよ?

不利かどうか考える暇のないほど、成し遂げたいことはあるだろうか?

それはどんなことだろう?

もし、そういうものがないのなら、手にいれるべきは身長や何かではなく「情熱」だ。

背が低いから「外国人にバカにされていると思う」について

フランス旅行に行ったとき、小柄だな〜と思う女性は思ったより多かったと思う。
フランス女性といえば、ポリシーを感じるおしゃれ人として、日本でも「大人の女性の見本」のようにされるような人たちだが、別にみんなそろって美人で背が高くスリムでスタイルがいい、なんてこともない。怠惰そうなデブだっている。
「フランス女性はみんなかっこいい」という夢物語は、現地であっさり消えてしまった。

日本にいようとフランスに行こうと、美女は美女、デブはデブ、かっこいい人はかっこいい

フランスのコスメショップで出会った妖精のような女性スタッフは印象的だった。目線が同じくらいだったので、150cm台だと思った。
彼女はたしかに、日本でイメージしていたような、輸入ものの小説とか漫画に出てきそうな、ザ・フランス人みたいな女性だった(フランス出身の人なのか実際わからないが)

それはなんというか、見た目のどうのこうのというより「大人の女性としての香りがするような」というか「オーラ」というか。カジュアルショップだったから特に目立つ服装でもないし、びしっと決めてたわけでもない。

ただ「何かお探しですか?」とフランス語で訊かれ、「Non,Merci」と答えたら、ふんわりした笑顔を返された、その雰囲気で「なんか素敵な人だ」と感じた

そう、感じた。考えたのではなく。

彼女を身長のせいでバカにする人がいるとも思えない

「150cm未満だ」「小学生より低い」「だから惨めだ」「社会的にも不利だと言われている」「モテないだろう」…

こういう思考をストップしてみよう。

「感じたらどう感じる?」

感じるということは、考えるよりも素直なのだ。

自分のことをただ、感じてみよう。

骨は動く、だから…

朗報のひとつだとは思うが、骨は2、3年で少し動くものらしい。どうしても背が高くなりたいのなら、足の骨が伸びそうなエクササイズを続けてみてはどうだろうか。

バレエのエクササイズをしているうちに姿勢がよくなり、身長が2cmほど伸びたという成人女性もいるらしい。骨は2cmくらいなら動くということなのだろう。
この方を参考にしていただきたい。(マダム由美子)

なお、身長を伸ばす手術というのもあって、相談には行ったことがある。20年以上前のことなので、今はまた違うかもしれない。当時は脚の骨をカットする手術で術後は何年か運動ができなくなると言われた。そうまでして背が高い方を望むかというと、そうではなかった。

おわかりかと思うが、そんなことをしてる間にマンダリンオリエンタルでアフタヌーンティーでもしたほうがずっといい。

どっちでもいいよ、と言いたい

この記事にも書いたが、178cmの女性と数ヶ月親しく過ごしている間に、身長そのものの悩みはかなり消えていた。

当時、私は不眠で鬱気味だった。その彼女とは音楽をやっていたという共通点があり、その時放送してたのだめカンタービレの話で盛り上がっていた。

彼女は長身だったが、うさぎを飼っていて、彼女自身がうさぎのような小動物的雰囲気をもっており、威圧感などはほとんどなかった。

女性、178cm、可愛くて安心できる、小動物みたいな雰囲気

こういう人もいる。

職場のストレスも強く、不眠で鬱だった私にとって「話が合う人がいる」ということが大きな心の支えになっていた。

もう稀なことになってしまったが、「身長これくらいほしかったとか思います?」と聞かれる。
ちょっと考えてしまうが、脚だけ伸びるという条件なら10cmくらい高くてもいい、と思う

だが、144cmという特徴ある身長を手放せるだろうか…、これっておいしいネタなのでは…?と思うことも、あるにはある。

世の中で活躍している背が低い人を見て、「この人が平均身長だったらもっといいのに」と思うだろうか?と想像し、そうでもないと考えることは多い。
背が低いから興味がわき、注目することもあるからだ。

「この人、小柄だけど目立つなぁ」と思う場合はとくにそう。そんなこともあって、平均ならよかったのかなどは、私はなかなか思えないのである。

一方で、私はヴィクトリアシークレットが大好きでジゼル・ブンチェンやミランダ・カーは尊敬する女性のトップ10に入るし、身長以外なら見ならいたいと思うところも多い。

身長はなくてもスタイルはよくなれる、とか、生き方はかっこよくなれる、とか、そういう意味で、彼女たちはいいお手本になってくれた。

背が低いあなたが「背が高いほうが善だ」と思っていれば幸せから遠のくし、背が高いあなたが「背が低いほうが善だ」と思っているなら幸せから遠のくだろう。

比較的体格のいいアメリカ人の中で、155cmのレディー・ガガが歌ったように「その骨で生きて行け」ということではなかろうか。

どっちでもいいけど、自分はかっこいい

そして、自分と違うどこかの誰かもかっこいい

否定していたものを肯定しようとすると、いろんな感情が出てくるかもしれない。

いつもと違うことを考えたとき、出てくる感情に耐えられないことが多いので、多くの人はいつもと違うことを想像しようとしない。

いろいろ思ってみて「やっぱり背が低いっていやだ」と思うかもしれない。

しかし、もしあなたが成人でこの数年身長が変わっていないなら、おそらく数年後も同じだろう。その数年をネガティブに過ごすか、楽しくすごすか、選択してみてほしい。

せっかく今の身長をしているのだ、何かおもしろいことを想像してみてはどうだろう。

今世、何を得ようとして、どんな世界を体験するために、どんなものを感じたいために、今の身長をしているのか。

想像してみることをおすすめしたい。

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